ゆとりが自虐史観を脱したわけ。

多くの人が歴史嫌いな理由。
それは自分の人生になんら関わりがないと思っているからです。
数学ならある程度生活に必要な知識ですが、
歴史を知らなくても基本的な日常生活には影響しません。
しかし、訳のわからない単語や年号を暗記しないと良い点が取れない
確かにこれでは嫌いになるはずです。
かくいう私も別段好きではありませんでした。

戦国時代幕末ゲームや漫画の題材になっていて
「歴女」と呼ばれる女性にも比較的人気のある時代ですが、
そこはヒロイックな登場人物にスポットを当てているだけ
歴史という広い視野では見てないケースが多いでしょう。

歴史を観るにはまず「自分自身との接点を探すこと」です。
自分がどこから生まれてどこに行くのか
これはどんな人も持つ人生の永遠のテーマです。
今何も考えずに毎日楽しく過ごしている人、
忙しく仕事に追われる人でも生きていれば必ずぶつかる問題です。
それが早いか遅いかでしかない。
そしてそのヒントは歴史の中にあるのです。
自分のこと、親のこと、祖父母のこと、先祖のこと
その生きた時代のことを考えることは
最終的に自分自身(アイデンティティ)を探す事になるのです。

まずは自分自身で自分史を書いてみると
客観的に後から見れるので面白いかもれません。
自己紹介も兼ねて例としてマンマルXの歴史を書いてみようと思います。

幼少期

私が誕生したのはバブルが膨らんでもうすぐ弾ける平成2年
経営者の家系で生まれ、男3兄弟の真ん中でした。
比較的裕福な家庭で育ち、幼少期は外で体を動かして遊ぶことよりも
部屋にこもって絵を描いたり、人形遊びが好きな男の子でした。
通常、子供から大人まで娯楽的に盛り上がるものですが、
男が三人もいるにも関わらず、
勝ち負けが決まる勝負事が嫌いで、スポーツやじゃんけんでさえ嫌でした。
そういう意味では究極の平和主義者だったのですw
しかし、小学校に入るとそんな生温い環境ではなくなってきます。
勝負事をしない人ほどイジメの標的になる人はいません。
運動ができないことがコンプレックスで、
やがて絵を描くことで自己武装していきました。
そうすると体育の時間サッカーとかでミスをしても
「こいつは運動できないけど絵が上手いから」
で許してもらえるようになりました。
このあたりからいろんな疑問を抱えるようになりました。
小学校の途中からゆとり教育が始まり土曜日が半ドンになりました。
(半ドンって響きが既に懐かしいw)
政治や歴史については強烈な興味がもともとあったわけではありませんが
「太平洋戦争」には不思議と興味を持ち、
夏休みの自由研究でわざわざ取り上げるほどでした。
自分の祖父母世代が悪者と教わり残念というより
不思議に思いながらも妙に憧れていましたw
父が映画好きで子供の頃から見ていたスターウォーズの影響で
「帝国」という言葉は悪の代名詞としてインプットされていましたが、
なんとなくかっこいい響きだったのですw
ダース・ベイダーやデス・スターに憧れるように
戦艦大和や零戦を持ちアメリカに挑んだ大日本帝国・・・
それ自体に興味がありました。
南京事件やら朝鮮人差別も教えられましたが
「平和教育」という名の下で
さんざん聞かされたので興味は別の方向に行きます。

少年期

中学校入学を前後して読書感想文用の本を探しに書店に行ったとき
小林よしのり著の「戦争論3」を購入します。
自分は目からウロコの真実の歴史を目の当たりにして衝撃を受けます。
そこには涙を流さずにはいられない民族の歴史が描かれていました。
自分が自虐史観から解放されたのはまさにこの一冊でした。
同時期に「機動戦士ガンダム」(ファースト)にハマり
戦争が勧善懲悪ではなく正義のぶつかり合いであることも理解し始めます。
思春期にこういう影響を過度に受けるとエネルギーが偏るもので、
当初の反米、反中思想は強烈でしたw
自分自身でいろいろと調べていくうちに徐々に軌道修正していきましたが
自由研究の結論で書いた「どんなことがあっても戦争はやってはいけない」
という言葉は既に口にできなくなりました。
私は取りつかれたように家族や友人になにかと歴史認識の話題をふっていました。
最初は黙って周りも聞いてくれましたが、
高校、大学と進学するにつれてだんだんと肩身が狭くなっていきます。

青年期

もともと漫画家を目指していたので
当時日本唯一のマンガ学部のあった芸術大学へ入学しました。
多くの大学のように左翼大学であり、
大体の芸術家や評論家がそうであるように左派の教員が多いのです。
学内で一人、左翼先生と戦っていました。
なにかと「歴史修正主義者」と攻撃され、だんだんと精神的に疲れた上に
さんざんブログでも警告したのに、
選挙で自民党が大敗し、民主党政権が誕生する始末
一人でも多くの人に自虐史観から目覚めて欲しいという情熱は
すっかり覚めてしまいました。
絵を諦めるつもりはなかったものの
親の伝で北海道の企業に就職、ブログも絵も書かなくなっていきます。
北海道の3年間はある意味で冬の時代と言えるかもしれません。
しかし安倍政権の復活慰安婦誤報によって
ようやく日本中で脱自虐史観の風潮が高まってきました。
日本人の目覚めが始まったのです。
絵を諦められない自分は会社を辞めて裕福だった家庭には戻らず無職で東京へ、
極貧生活をしながらも日本の変革の時は近いと感じ、
再び自虐史観からの解放のため活動を始めました!←今ここ

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