日本近代史⑩~戦後の世界構造~

戦後の日本周辺地図

日本の戦後統治は中央政府が存続していたこともあり、
イギリスが中国・四国地方を担当した以外は
ほぼアメリカによる独占的な占領統治となり、
ドイツのように米ソ二大国による大規模な本土分割にはならなかったものの、
明治以降、日本人が血と汗で勝ち取ってきた海外領土は全て手放す
ことになりました。
朝鮮半島は独立を前提に38度線で分けて米ソが信託統治
南洋諸島アメリカの信託統治
台湾中華民国へ割譲。
満州はソ連に占領され、
共産党の影響力を広めた末にカイロ宣言に従って中華民国へ返還されます。
南樺太ソ連領となりますが、
千島樺太交換条約で平和的に日本領になった千島
そして江戸時代の日露和親条約時から固有の領土だった
北方四島までソ連が占領しました。
日本は冷戦期にサンフランシスコ講和会議で
西側諸国とは平和条約が結ばれますが東側ソ連と平和条約が結ばれず、
今に至っても後継のロシアと結ばれていません。
日本の地図では南樺太、千島は所属未確定とされ、
北方領土はロシアの不法占拠としています。
ソ連は東アジアにおいて、わずかな犠牲で多くの利益を獲得しました。

一方、東京の小笠原諸島トカラ列島以南の奄美諸島や沖縄
本土から切り離され、米軍による軍施政下に置かれました。
アメリカは来るべき共産主義との対決のため沖縄を軍事的拠点とし利用すべく
「琉球政府」を作らせ、日本から独立させようと画策しますが、
現地住民の日本帰属意識が高く難航します。
サンフランシスコ講和会議と同時に日米安保条約が結ばれ、
以降順次本土復帰を果たし、
1972年に沖縄は本土復帰となりますが、
沖縄の米軍基地は存続する形となりました。

こうした北方領土や沖縄の状況を考えると
日本はまだ戦争中であるとも言えそうです。

満州に地盤を固めた共産党が国共内戦の末、
中国大陸から蒋介石国民党を追い出し、
大陸で共産主義の中華人民共和国が誕生、支援していた中華民国が台湾に逃れ
1950年、共産主義の北朝鮮が
朝鮮半島統一を目指し南の韓国に侵入、朝鮮戦争が勃発。
また東南アジアの独立戦争も発生。
冷戦構造の中で
これらの中間位置に存在する沖縄の重要性はさらに高まっていました。

アメリカは日本が戦前に捕らえていた共産党員などの政治犯を解放し、
戦前の指導者や有力者を公職追放
日本が再びアメリカの前に立ちはだからないように
憲法を変え、9条によって軍事力を放棄させ、
貧しい農業国にしようと企てましたが、
アジアにおける共産主義の猛威により
警察予備隊(後の自衛隊)を創設して再軍備を認め、
公職追放の対象は共産主義者へと方針転換しました。(逆コース)
日本は西側陣営の共産主義の防波堤となっていきます。

このように日本が戦争に負けた事によってアジアの歴史は大きく変わりました。
北方領土問題、沖縄問題、朝鮮問題、台湾問題、チベット問題・・・
そのほとんどが日本の敗戦をきっかけとして起こり、今も解決されていません。
日本が理想とした大東亜共栄圏が完成すれば起こらなかった問題でしたが、
アメリカはソ連と手を組み反共の雄であった日本の軍事力を叩いてしまいました。
その結果、中国大陸は完全に共産化され、
アメリカは本土決戦における出血は避けたものの
日本が明治以来担ってきた
ロシア、中国、そして共産主義との対決を肩代わりすることになり
さらに多くの血を朝鮮やベトナムで流さなければなりませんでした。
朝鮮戦争で連合軍の指揮を執ったマッカーサーは
日本の戦争目的が自衛であったことを認めています。

IncheonLandingMcArthur
仁川上陸作戦を指揮するマッカーサー元帥(朝鮮戦争)
Napalm
南ベトナム解放戦線の拠点で炸裂するナパーム弾(ベトナム戦争)

また、日本の戦争目的のもう一つの柱であった
東南アジアの独立に関してはその多くが実現しました。
戦後になり、再植民地化を企みインドネシアにオランダが、
ベトナムにフランスがやってきますが、
日本統治時代に受けた独立に向けた様々な教育や
軍事指導によって目覚めた彼らはその多くを返り討ちにしました。
そこには残留日本兵が前線で戦う姿がありました。
「大東亜共栄圏構想」が単なる日本版植民地主義ではなかった証左でしたが、
植民地支配が長く民族意識が薄れ、
アメリカから既に独立を約束されていたフィリピンや
政治的要因で形式上フランス統治を認めていたベトナムなどでは
抗日ゲリラが活躍したことも確かでした。

いずれにしても日本が大東亜共栄圏と呼び、統治していた地域において
独立運動や共産主義双方にとって日本の軍事力は大いに利用され、
大東亜戦争が国家独立の一大転機となったことは確かでした。

日本は戦後、自由主義の西側陣営に組み込まれ、
アメリカの属国に成り下がりますが、
日本の意志は東南アジアから中東、アフリカに伸び、
多くの国家が独立を果たし、欧米植民地主義は完全に崩壊します。
第3世界はまさに日本が生み出した大勢力となり、
「大東亜共栄圏」が理想とした形は
独立戦争とベトナム戦争を経て誕生した
「ASEAN」に引き継がれる形となったのです。

ASEANの旗の中に日の丸

アジア、アフリカの独立と相対して植民地を放棄し、
二度の世界大戦で疲弊したヨーロッパでは地域統合が進み、
大東亜共栄圏に似たEU(ヨーロッパ連合)が誕生します。
かつての宗主国も第3世界を無視できなくなりました。
民族自決の精神は日本の戦争によって
白人中心からようやく全人類に適応されることになりました。
これはフランス革命、産業革命、ロシア革命に次ぐ
大東亜革命とも言うべき大革命でした。

ベルリンの壁とソ連が崩壊したことにより、
冷戦が終わりEUはますます広がります。
しかし、東アジアにおいては朝鮮戦争が決着せず
中国共産党も健在のため、地域統合も進まず戦後体制がほぼ継続しています。

0 件のコメント :

コメントを投稿